AnDrew’s小生意気レビュー記

作品の感想レビュー記事をメインに投稿しています。作品への造詣を深め楽しみつつ、それを他の方々とも共有できる場になれば。よろしくお願いします。

子供の君と...

ウルトラマンコスモス

第9話「森の友だち」

感想レビュー

 

 

ヤマワラワの棲む山の上空にてカオスヘッダーをテックサンダーで追うムサシとフブキ隊員、という構図からスタートした今回。カオスヘッダーの今回の話における登場は冒頭のここだけで、物語への濃い絡みは無い(あとは話の中でフブキ隊員が影響についての懸念を言及するくらい)ので、演出的には定期的に視聴者にカオスヘッダーの存在を印象付けておく程度のものだったと思われるけど、ワンチャンもしかしたらヤマワラワみたいな妖怪の類への憑依とかも目論んでた(やろうとしたけど結局失敗してEYESに見つかった)のかな...とか思ったり。序盤の時点であの手この手と実験的に色んなこと仕掛けてくる性質なのは窺わせてるしあり得なくはないかも

あと、テックサンダーから逃走していたカオスヘッダーが夜空に輝く月に向かって飛んでいったところでロストする、っていう演出は、終盤にて明らかになるカオスヘッダーのある性質を思うとなんかちょっと象徴的だよな、とも個人的に感じたりしました。その辺の設定をまだ深くは決めてないであろう序盤の時点のなんの気ない演出だから、別に深い意図はないだろうし自分も深読み気味に思っただけではあるが

 

そんな今回はコスモスの名物キャラクターの1人・妖怪ヤマワラワの初登場回。

ウルトラシリーズでたまに見られる、妖怪・霊等のオカルティックな要素が絡む不思議テイスト濃いめな回で、ヤマワラワの伝承をテレビの前の子供達に向け語る昔話調のナレーションをはじめ、木々が立ち並ぶ奥深い森というロケーションや、旅館のシーンにおいてさり気なく挿入される実相寺アングルじみた構図などといった和テイストの神秘性を濃く醸し出す演出の数々が非常に印象深かったですね。

ヤマワラワのデザインも、猿(ゴリラと言った方が近いか)をベースにした感じのごつめのシルエットや体勢、白い毛並みに古木のような渋みを感じさせる質感の角といった、日本の土着の妖怪的な雰囲気が絶妙に表現されたものになっていてなかなかに良き。今回の話の空気感をより引き締めていましたね(巨大化時の森の中に佇む存在感が凄くナチュラルで良き) AKIHITO真偽屋さんデザインの怪獣はどれも良いですなぁ

動きも人間とはまた違う凄く野生的な感じが濃く出つつも、細かな所作の節々には心を感じさせるある種の人間味が滲み出ている、というバランスが見事で、スーツアクターさんの演技に感服でした。非戦闘時の優しく歩み寄る戦闘時のアクティブさも好きなんだよな

 

子供にしか見えない妖怪として子供達との交流を心から楽しむヤマワラワと裕一の触れ合い、そしてそんな彼の父である康裕が語るかつてのヤマワラワとの繋がり...というところを軸に進行した今回の物語。ただ純粋に子供を想い心からの交流を楽しむヤマワラワと、そんなヤマワラワに心を許し心からの交流を楽しむ裕一やかつての幼い康裕の姿が温かく描かれる一方、いずれ何かの形で訪れてしまう大人への成長」が、ヤマワラワと子供達の別れをもたらしてしまうことへの切なさも同時に描かれるという、幻想的な思い出と受け入れなくてはならない現実の対比がビターで心に刺さる話だったなぁ...と感じます。時が経って大人へと近付き、周囲の大人達が「現実を見なさい」という受け入れ難い正論を投げかけるようになっていく内に、ヤマワラワと子供達の距離は物理的にも心情的にも遠ざかっていってしまい、やがて大きくなった子供達は自然とかつて自分達がそうされたように自分の子に「現実を見なさい」という言葉を投げかけるようになっていってしまうという無常さは何とも言えない気持ちになる...

「大人への成長」というテーマは渋谷浩康プロデューサーがヤマワラワと子供達の別れの構図の中に含んだものとのことで、康裕が自分を都会へと運ぶトラックの荷台からヤマワラワに手を伸ばすも届かなくて別れの言葉を送ることしかできない、という画はそんなテーマを濃く表していたように思えますね。

 

そしてそんな過程の中で経験した「子供達との別れ」を繰り返したくないと思っているであろうヤマワラワが、裕一を連れて行かせまいと暴れる様は彼の良くも悪くも純粋なのであろう一面を感じさせてまた切ないところ。怪我した裕一を守ったりとヤマワラワはあくまで子供を大切にしてあげてるに過ぎないからね...

劇中で言及されていた「最近になって目撃情報が多発した」というのは、別れを幾度も重ねて悲しみを募らせたヤマワラワが子供達に会いたくて山を下りるようになってたからなのかなぁ、とも。裕一や康裕以外にも色んな子供達との別れを沢山経験してるかもだし

 

でもそんな辛く切ない現実の中でも、康裕はヤマワラワとの思い出を忘れていたわけでなくむしろ大事に奥底に仕舞い込んで覚えてくれていた、という事実は救いだったな...と思う。康裕がヤマワラワが別れ際にくれた涙の木の実をちゃんとずっと大切に持っていて、それを手にヤマワラワに思い出を忘れていないことを伝えてあげると共に、ずっと一緒にはいられないんだときちんと向き合って言うことができたからこそ、康裕もヤマワラワも互いの心のモヤモヤに一つの踏ん切りを付けることができたんだろうなと。康裕の言葉に名残惜しそうにしながらも身を引くヤマワラワ、そんなヤマワラワの名を大声で呼ぶ康裕、という部分まで含めここの康裕とヤマワラワの一連のやり取りはノスタルジックな空気感にやられて涙腺ゆるゆるで泣いちゃったんだよなぁ...石橋さんの優しく語りかけるような喋りと、ヤマワラワの切なげな仕草を細かく演じあげたスーツアクターさんの演技が合わさった名シーンでした。

思えば康裕がヤマワラワとの思い出を大切にしながらも、一方で裕一をヤマワラワから遠ざけようとしてたのは、自分の時と同じようなヤマワラワとの辛い別れを裕一に味わわせたくなかったからってのもあるかもな...と 最後にはその行いがかつて自分をヤマワラワから引き離した大人達と同じだったと気付けて改めてヤマワラワと向き合えたので良かったけれど、ヤマワラワとの思い出がかけがえのないものだったからこそのすれ違いだったと思うとまたなんとも言えない...

と、ビターな雰囲気を残してEDには入ったものの、康裕・裕一親子がお互いのヤマワラワとの思い出のことで深く触れ合う機会を得たことを示唆する会話の下りと、人が子供の心を失っていなければヤマワラワはきっとまた現れてくれるというラストのナレーションでまた少し希望を残す形で締めたのは良かったなと。どれだけ大人になっても、幼い頃の思い出と純粋な気持ちは忘れないようにしたいものですね。

 

 

以上、コスモス9話でした。ヤマワラワの存在を軸に、大人になって現実に向き合っていく中でも大切にしていきたい子供の頃の思い出や純粋さというものの意味を強調した風情ある回でしたね。ほんのりビターな雰囲気でほろりとさせるストーリー展開が良いアクセントとなってて良きでした。胸に沁みましたね

演出面でも和テイストのちょっと不思議な空気感の出し方が巧くて非常に面白く見応えがありましたね。ヤマワラワはまた時間をおいて再登場するのでそちらも楽しみですね

 

というわけで今回はこの辺で 最後まで読んでいただきありがとうございます

次回もよろしくお願いします 気に入っていただけたら記事の拡散等していただけると喜びます!

ではまた