第6幕「地獄」
振り返り感想
「ナルミ、一つ言っておくべきだった。
ここは地獄だ。」
「ひでぇ...
ひでぇよ...
神サマ...」からくりサーカス 第12巻 からくり〜銀の煙 第3幕『ゾナハ病棟』第5幕『仮面』より
消息不明になったと思われていた鳴海兄ちゃんが「しろがね 」を名乗るギイとルシールの2人組に拾われ、自身を蝕んでいた奇病「ゾナハ病」の根源たる自動人形(オートマータ)との戦いに足を踏み入れていくという、からくりサーカスの物語の根幹へと踏み入っていくストーリーが展開されていく今話。
感染した者達を襲う死をも許さない絶望的な苦しみ、彼らを救うためにその身を削らなければならない医師達に強いられる気の遠くなるような所業、それらが織り成すこの世の地獄...と鳴海兄ちゃんのリアクションからギャグ調に描かれていたゾナハ病が秘める真の恐怖が暴き出されると共に、その裏で暗躍する敵「自動人形」、そして自動人形と戦う人形使いの不死集団「しろがね 」の存在と、序盤に示された要素の一つ一つが大きな意味を持っていく流れや、それらが伏線として繋ぎ合わさって壮大な物語を形作っていく様が物語的に超盛り上がるんですよねぇ鳴海サイドのストーリー。藤田和日郎の伏線回収能力の高さよ...からくりサーカスの物語を大きく盛り上げていく超重要なパートですね
それ故にそんな鳴海サイドのストーリーの諸々の過程を色々すっ飛ばしてゾナハ病棟編からのスタートって大丈夫?って不安はめちゃ大きかったんですよね。ギイとルシールと旅を共にする中での鳴海兄ちゃんの人形破壊者としての心情描写とか、ギイルシールのキャラの掘り下げとか、エリ公女のエピソードのカットとか...そういうの色々すっ飛ばして、「笑顔」を支えにして戦ってきた鳴海兄ちゃんが地獄を目の当たりにして絶望と自身の無力を突きつけられると共に、ゾナハ病ひいては自動人形どもへの怒りを確固たるものとするこのゾナハ病棟編に飛んでスタートは急ぎすぎではというところで。
しかしいざ蓋を開けて観てみると、記憶のないまま目覚めた病棟で共に仲良く交流した子供達がゾナハ病で苦しめられる現実を目の当たりにさせられ絶望させられると共に、そんな子供達を救える万能薬「生命の水(アクア・ウイタエ)」の残りを自分が口にさせられていたという事実を知らされ、本来救われる筈だった子供達に代わって生命の水を口にした自分が皆を救うために自動人形と戦わなければならないのだと決意する、という鳴海兄ちゃんの戦う動機を1話の中で濃く印象付けられるだけの巧みな構成となっていて、原作既読の視点から見ても実に秀逸な再編となっていました。生命の水を飲んだことそのものが鳴海兄ちゃんの戦う理由へ直結するという形になってるんですよねぇ
再編の仕方に不満の少なからず生じることの多かったアニメからくりサーカスですが、ここに関しては率直に見事だなと。
その代わりに鳴海兄ちゃんのメンタルへの責め苦が原作にも増して強烈なものになってて慈悲?なにそれ美味しいの???みたいな構成になってんだけどな!いや原作は原作で、ゾナハ病のフェーズが進み過ぎてやむなしとはいえ人間としての扱いさえ受けてもらえなくなっていく子供達や身体と精神に鞭を打ち疲弊しながら笑顔を強引に張り付けてゾナハ病への対処にあたる医師達の壮絶すぎる姿、それを目にした鳴海兄ちゃんが精神をすり減らされていく様の描写を丁寧に描くからこっちも相当に凶悪なんだけど...!これが藤田和日郎イズムだぁ
約4〜5巻分の密度を巧みに1話の中に落とし込み物語をグッと引き締めた良エピソードでした。放送当時からサー初見の方が違和感なくこのエピソードに入り込んでくれてて、再編が入ってたと知って驚いてたりと本当に見事な構成だったなと改めて。全体通してこのくらい巧い再編エピが多かったら良かったなぁ
というわけで今回はこの辺で 最後まで読んでいただきありがとうございます
次回もよろしくお願いします 気に入っていただけたら記事の拡散等していただけると喜びます!
ではまた