第29、30幕「しろがねのやったこと/Pieta」
振り返り感想
ピエタ(イタリア語:Pietà、哀れみ・慈悲などの意)とは、聖母子像のうち、死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア(聖母マリア)の彫刻や絵の事を指す。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E3%2583%2594%25E3%2582%25A8%25E3%2582%25BF
当時の感想ツイでミンシアの台詞がアニオリって書いてるけど、実際はしっかり読んでなかった別のとこで言及されてただけでした 間違え失礼(ただ早い段階で提示されたりビジュアル的により分かりやすくなってたりはしてましたね この辺は1話の中で展開として描くための工夫か)
事ここに至ってなお、女にフラれて全部どうでも良くなったので何もかも滅ぼしてやる、と更に最悪な方向へ開き直り続けるフェイスレス/金、すごくすごく最悪で実によろしい(
兄に似てる鳴海兄ちゃんを見て何も思ってないわけないよなというのは想像できるけど、それが
「兄貴にそっくりな奴の前で、兄貴が奪った女子にそっくりな女子を自分のものにする瞬間見せたろ!!」
ってなるのほんとヤバすぎるでしょ...そうはならんやろなっとるやろがい!!
自動人形を完全に沈黙させる最強の武器たる「三解」の最後の一つ、初見時もおぉなるほど...という感じでスッと「理解」させられる納得のインパクトでしたね
ほんと悪役として良い存在感すぎるなコイツ
さて最終決戦前、しろがねの献身や彼女を取り巻く人々の人間模様が中心となり描かれた今回。
作品中の伏線回収及び謎の解明も一通り済んで人間ドラマによりいっそうフォーカスされ更に磨きがかかって来る藤田和日郎作品の終盤ですが、自動人形への因縁や鳴海兄ちゃんへの恋慕の気持ちから怒りや歯痒さがない混ぜになった感情をしろがねにぶつけてしまったり、しろがねの慈愛・鳴海兄ちゃんの彼女への想いを知って潔く身を引きしろがねに自身の想い人を託したりといった、しろがねとの関係性と共に描くミンシアの繊細な内面描写、しろがねの兄・父のような立ち位置だったからこそのしろがねへの思い入れや、共に戦った仲間にしてしろがねを託せると信じた存在である鳴海兄ちゃんへの最後のメッセージといったギイの想いの描写など、本作でもその辺りがしっかりと描かれているのが感じられるエピソードでしたね。多くのキャラクターの内面をしっかり最後まで掘り下げ、他のキャラクターとの絡みも含めて物語の中でより魅力的に仕立て上げる藤田和日郎先生の手腕は本当流石の一言であり、アニメでもその辺の内面をしっかり伝える作劇になっていて実に良かった。
“母”アンジェリーナの偶像とも言えるオリンピアに抱かれ旅立つ様を上述の「Pieta」を当てはめたギイの最期の姿のカットも、光の当たり方の表現や線の表現がアニメだからこそより美しく描かれており、映像化されて良かったな...という感じです。こういう場面の劇的さや醸し出される芸術性を存分に描いてこそのアニメなんですよ ここの描写はとても満足でしたね
ちなみに本エピソードでは、原作のだいぶ序盤にて鳴海兄ちゃんサイドのエピソードで登場したシャロンやエリ公女が再登場し、勝に鳴海兄ちゃんの生存を伝えると共に鳴海兄ちゃんのラストの展開を決定づける一言を託したり、ゾナハ病に苦しむ人々を自らの力で支え人々から嫌われ除け者にされるしろがねにも寄り添ったりと、物語の中で重要な立ち位置を占めることとなってるのですが、シャロンに関しては当該エピソードがアニメではカットされてて「そういうことがあった」という回想で済まされてて、エリ公女に至っては存在がカットされてる、となってるので、この辺はやっぱ残念。
シャロンが語る鳴海兄ちゃんの人となりに関してはアニメでもゾナハ病棟からのスタートになったことを活かして改変したなりにしっかり強調していたのでアニメではこの配分で十分とも言えるものの、やっぱ鳴海兄ちゃんの心優しさを強調する意味でもあのシャロンのエピソードは大事だし(既出キャラの登場という熱さもあるし、タニア婆ちゃんのキャラも良かったし、この回の敵キャラであるフラーヴィオも初の名有り自動人形てことで存在感あって地味に好きだし(小声))、エリ公女のエピソードも作品全体でいうと必須度は決して高くはないけど彼女の成長や鳴海兄ちゃんとの関係性がたまらなく良くて単体のエピソードとして非常に完成度が高く面白い(このエピソードでのギイとルシールもまた超カッコいいんだわ)ので外して欲しくはなかったでね...アニメでも観たかったよなぁ...!!エリ公女のエピくらいはOVAでなんとかなりませんかね
でも当時のツイでも語ってるように、エリ公女の存在カットによってしれっと原作漫画での彼女としろがねの会話パートでリーゼがエリ公女の代わりになってるのは得したなリーゼ...と思う。w でも同じサーカスの芸人という立場での会話となったことにより、しろがねに歌で皆を癒すという気付きを与える流れが地味により自然になったのは良かったかも、とも思ったりする。意図してかせずしてかは分からんけどこういう細かい改変はよくよく見ると何気に良かったりするのよねアニメからサー
てかアニメ化によってきちんと実感として気付いたポイントだけど、しろがねが皆のために歌を歌ってる場面、歌ってる歌が昔アンジェリーナやフランシーヌ人形がしろがね/エレオノールに歌ってあげた歌なのよね。それを今度はしろがねが皆のために歌ってあげてる、って構図は実にグッとくるね...当時のツイで彼女の献身をフランシーヌやフランシーヌ人形に重ねてるけど、それ以外にも母アンジェリーナからもきちんと受け継いだものがあったんだなぁ...原作の魅力の表現というとこで色々言うこともあるアニメからサーではあるけど、こうしてアニメを通して描かれたところから更に色々なことに気付けてより作品の魅力が深まったって点も多いので、原作ファンにとっても少なからず価値あるものではあったなぁと思いますね
という感じで遂にアニメもクライマックスへ本格的に突入。残りのエピソードの方も随時追っていって振り返り感想載せていきますので、最後までお付き合いをどうぞ
というわけで今回はこの辺で 最後まで読んでいただきありがとうございます
次回もよろしくお願いします 気に入っていただけたら記事の拡散等していただけると喜びます!
ではまた