第23、24章「悪魔再び/脱出へ」
振り返り感想
「限界状況(げんかいじょうきょう、英:limit situation、独:Grenzsituation)とは、カール・ヤスパースの実存哲学における用語のひとつで、ヤスパース哲学の起点となった基本概念。現存在としての人間が、いかなる人間の力や科学の力をもってしても克服できない、逃れることのできない状況、すなわち、これは人間を限界づけている普遍的な状況である。死、苦、争、責、由来、偶然など、われわれの日常的現実を粉砕してしまう状況のことである。」
(中略)
「そして、壁に突き当たって挫折する経験は、人をして頼るべきもののない孤独と絶望とに突き落としてしまう。しかし、このように限界状況に直面したときにこそ「実存的まじわり」や「超越者との出会い」によって、人は実存に目覚めるのであると主張した。」
Wikipedia-「限界状況」より抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E9%2599%2590%25E7%2595%258C%25E7%258A%25B6%25E6%25B3%2581
どんとこい、ゼットアンドリュー on Twitter: "この時流れてる和テイストの入ったBGMが良い味出しててカッコええのよ 要所要所に良い劇伴来て良いなぁ #karakuri_anime… "
ハリー死守・奪還戦最終局面。
上記の「限界状況とそれを超えるための他者との交わり」という話題が取り上げられ、鳴海兄ちゃんが散っていったしろがねの仲間達から託された機械の手足を通じて彼らの意志をその身に宿し、1人では敵わない強敵ブロム・ブロム・ローを「共に」打ち破る展開をはじめとして、ジョージに阿紫花さん、パンタローネといった面々が自身の使命や存在意義を見出し立ち上がる展開が次々に繰り出される非常に熱いエピソード。死した者の想いがしっかりと受け継がれてゆくという展開がもうたまらんほど好きなのだが、それを多くの者の想いを人一倍に受け止めている鳴海兄ちゃんの力強い一撃に乗せて描くというのが凄く感情揺さぶるのですよ。退場してしまう端のキャラに至るまでしっかりドラマがあり、それを捨て設定とせず続く物語の中で生きる者達のドラマの更なる魅力へと昇華させていく人間讃歌、これが藤田和日郎の真骨彫ですよ
しかしこの鳴海兄ちゃんvsブロムの決戦を中心にこの辺の展開を一気に見てみると、
ジョージが子供達の拍手と歓声を受けて格上の相手を撃破したり、
阿紫花さんがジョージとの関わりを通じて弱い自分を超えてみせたり、
パンタローネが阿紫花さんの言葉で再び立ち上がり、それがギイの窮地を救ったり
と他者との関わりで強敵や挫折といった限界を超えるというテーマ性が一貫されている感じがするなと思ったり。勿論からくりサーカス全体の物語に目を向ければ同じようなドラマは多く見られるのですが、これらの登場人物達の描写にはそれが一際濃く現れてるかなと
そもそものハリーも、鳴海兄ちゃんのゾナハ病と戦おうとする覚悟を受け止めたバンハート博士達の熱意の結晶であり、自動人形達に壊されそうなハリーも博士達が鳴海兄ちゃん達を信じて守り抜いたからこそ希望として繋がったものであることを思うと、人と人との交わりが生んだ、限界・絶望を超える希望の光こそがハリーであり、このハリー奪還編そのものが上述のテーマを体現する章だったんじゃないかな、とか感じたりするわけです。これは新しい魅力の発見になったなぁ
また、例のごとく原作を踏まえた上での比較なんかをしてみると、アニメ化に際し存在をオミットされた法安さんがいないことによる皺寄せが見られたりするのが残念だったりする(アニメだと阿紫花さんに取って代わられたパンタローネとの対話も、本来はサーカスで道具を人一倍大事にする法安さんが為すからこそ重みがあるやり取りだったし、自動人形との因縁みたいなしがらみがない立場だからこそ言えた「ワシのサーカスに来るかよ?」も爽やかで気持ち良かったので)わけだけど、逆に法安さんがいなくなったことで阿紫花さんがジョージの最期を看取ることとなり、貸した煙草をジョージから直に受け取り、ジョージの「やりたかったこと」や「悔しそうな顔」を直接目にするという本アニメ屈指の名改変シーンが誕生したのはめちゃくちゃ好きなところ。原作だとジョージから「やりたかったこと」が聞けなかったもんなぁ...月並みな言葉ですがこれはエモですよ できればもっとこの2人の関係性の積み上げがあった上で見たかったけどこれは最高 この改変を強く要望したジョ阿紫強火担のスタッフがいたと勝手に思ってます()
第6幕といいゾナハ病棟関連のエピソードの改変はなんか凄く良いのよなアニメ...前回のエピソードでの子供をあやしジョージのピアノに一緒に手拍子する阿紫花さんとかいうクソ激レア描写もあったし
でもやっぱなぁ〜 ジョージの描写はもっと充実させて欲しかったよアニメ...映像で見るシュナージー戦やっぱりめちゃ感動するんだけど、アニメ内の描写だとかつて冷徹に接してたゾナハ病棟の子供達との交流とかしろがね-Oとして自身の存在意義に迷っていく過程とかの積み上げが足りねぇんだ...サハラ戦で出てきたしろがねの1人でなんか終盤また出てきた人みたいな感じなんだよアニメのジョージ...!
見てぇ〜ッ 6、7クールくらいたっぷり使ったアニメからくりサーカス見てェ〜ッ...
ともあれハリーは希望として繋がり、場面は鳴海兄ちゃんから、勝へと移ります。
舞台劇の新たな章が始まる...
というわけで今回はこの辺で 最後まで読んでいただきありがとうございます
次回もよろしくお願いします 気に入っていただけたら記事の拡散等していただけると喜びます!
ではまた