AnDrew’s小生意気レビュー記

作品の感想レビュー記事をメインに投稿しています。作品への造詣を深め楽しみつつ、それを他の方々とも共有できる場になれば。よろしくお願いします。

二千年の懺悔と迷う生命

仮面ライダーセイバー

第42章「はじまる、美しい終わり。」

感想レビュー

 

 

突然の飛羽真ダッシュどうしても笑っちゃうからやめて欲しい() 同じ本編中で2回も走るシーン出るから余計ダメだった

飛羽真ダッシュ、やたらシャンとしたランニングフォームが妙なシュールさを醸してること自体に関しては本人は至って真面目なんだし別に変なフォームじゃないしで面白おかしく言うようなことでは断じてないんだけど、某大問題回の第35章の坂ダッシュの印象があまりに記憶に濃く刻まれてるせいで面白さが発生してしまうのがひどい() 罪深すぎる...せめてもっと構図や演出を工夫できんかったものか。
てか飛羽真単体でのちょっとした移動にさえもバイクを使ってくれない(使えないというのが正確かもだが...)のほんと色々モヤってしまいますなぁ。セイバーに限らず最近のライダーにちょいちょい言えることだけども せめて第12章で賢人のとこ行くのに乗ってたくらいの感じでちょいちょい乗ってくれさえすれば、と思う

 

と早速愚痴的なものをつらつら書き連ねてしまったのでそろそろ今回の話の内容へ。

 

全知全能の書の一部を狙ってやってきたストリウスとの接触により、本作の語り部的存在として活躍してきたタッセルが退場することとなってしまいました。

自分が全知全能の書を追い求めそれに触れたことで結局争いが起きてしまいその中でかつての仲間達が次々死んでいってしまったことへの後悔、そうして巻き起こった争いが今なお続いている中で何もすることが出来なかったことへの絶望など、前回と併せここにきてタッセルが物語の語り部として存在していた裏で抱いていた様々な心情が掘り下げられ、物語の始まりを成した人物としての存在感を発揮してましたね。そんな悲しき争いに終止符を打ってくれるであろう飛羽真の存在はどれだけ救いだったことか。自分に遅いかかるストリウスにも敵としてではなく仲間として自分の想いを訴えかけ、最後まで仲間として接し懺悔するなど、この辺の健気さはグッときたな...TOBIさんの演技が熱くて良かった。

強いて言えばタッセルは本編冒頭で物語について飄々と語るあの姿やトリッキーさ溢れる立ち振る舞いが印象深い故に、こういう色んな葛藤を秘めたキャラとして印象付けるにはもう一押しくらいキャラ描写の説得力が弱かったかもとは思うところですが、とても印象深い最期になりました。

しかしそんなタッセル...もといビクトールのことをストリウスは「他者に結末を委ねる愚か者」と断じ切り捨て、最期を「美しくない」と一方的に吐き捨てており、すれ違いがとても悲しい...やはりストリウスって「結末」を重要視してるようでいてその実本質的には「終末」こそを愛している感じなので、「他者の結末を委ねるなど愚か」という台詞が「物語の結末は俺が決める」の類比になっている一方で、実際のところは「物語は時を越えて受け継がれ、人々に夢や感動や希望を伝え新たな物語を生む」とする飛羽真とはまるきり反対を行く対比になっている、という構図になってるのが上手いなと。
しかしストリウスも、タッセルの強い訴えに対し惑いを含んだ表情をしていたので、心のどこかでかつての仲間への情が少なからずあって欲しい...と願いたいものです

にしてもタッセルの死を知ったユーリが「自分ももうすぐそっちに行く」と言ってたけど、ユーリお前、消えるのか。そうなのか...もしかしたらちょっと不穏。

 

そして今回のストーリーのもう一つの軸になったデザスト。自分を蓮に勝負を挑んだり、蓮の迷いの原因を飛羽真のせいだとして襲いかかったりと、今までに比べてだいぶ焦りを含んだ行動をしてたのが印象的でしたね。今までは蓮が言ったように命に限りがないからこそ自分の気の向くままにどこまでも我を通し生きることができたけど、それが無くなったことで自分が他者によって気まぐれに造られた意味なき生命に過ぎないという事実を直視することになり、なんとか存在意義を残さんとして生き急いでいるんだろうなぁ。他者の強さの形にも目を向け、自分のことも見極めようとしている蓮の方が冷静にデザストを諭すようになっているという構図がなんとも

そんなデザストだけど、気持ちとしては自分と同じだと思ってた蓮が迷いながらも他者に目を向け自分を見極めようと進み続けていることに、自分が置いていかれてしまうのではないかという不安があるんじゃないのかな、とも。自分を相手にせず去っていく蓮の背中を眺め追うことしかできない、という構図がそれを象徴的に表している気がする。「デザストは「セイバー×ゴースト」でも生み出された生命であるコピーカノンにシンパシーを感じて歩み寄ってたし、そもそも蓮に近付いたのも自分に近しいものを感じた故の興味から始まった行動だったしで、生み出された生命として自分と理解し合える者を探し欲していたのであろう」的なことをフォロワーさんが仰っていたけど、これらを見るとさもありなんと思えますね。故に蓮の変化・迷いを促す飛羽真達が許せなくなってる...といったところか。

武蔵 on Twitter: "強さを求める蓮と行動を共にしたり、カノンに被造物としての親近感を持ってお兄ちゃんになろうとしたりと「自分と同類の仲間が欲しい」って感情は一貫してるんだよなデザスト "実はいいヤツ"って言葉だけで表しきろうとは制作側も考えてないと思う"

しかしそんな飛羽真から「蓮が迷うのは人間だからこそ当然」「そして感情を持って乱れる今のデザストも、蓮と似ている」と言われデザストが困惑する下りが入り、これが次回の蓮との関係性の昇華における重要なフックになるのかな、と思ったり。迷いの中にいることの表現としてセピア調の画面の中心に立つ蓮/デザスト、そして迎え入れる者や理解してくれる者が現れることで画面が色付く、という演出が劇中で描かれていたけど、ここはその蓮とデザストの対比を象徴的に示した上堀内監督らしい演出になってたなと。

たこアレ on Twitter: "感情がある 人間と一緒だという言葉を貰うと同時に虚無だったデザストの世界にも彩りが付く 凄くいい演出だった #nitiasa #saber… "

蓮の方も、乱れるデザストを「生きる意味を考えることも、仲間も必要ない気楽な奴」と断じた後でデザストの真意や現状を知ってどこか申し訳なさそうな態度を見せたりと、デザストとの関係性が大詰めであることを感じさせるような姿を見せていてここがどうなるか非常に楽しみ。しかし蓮もほんとに変化してよなぁ...と改めてしみじみ 倒れた自転車をほっとけず直すという下りはさり気ないながらも蓮が他のことに目を向けられるようになったことの象徴的な演出になってたように感じられ地味に好きなところ。

 

そして始まるストリウスの大いなる計画。

一方ワンダーワールドから現実世界に逃れてきたルナは芽依と接触するも再び姿を消し...

...なんでルナは毎度毎度勝手にふらっと仲間の下から離れるんです???猫かよ()

 

 

以上、セイバー42話でした。タッセルの最期、デザストと蓮の関係性の大詰めなど、見所多しな回となりましたね。上堀内監督らしい、キャラの心情や立ち位置の変化を象徴的に表現する演出が随所で効果的に効いていたのも良き。蓮とデザストがどうなるかは楽しみにしたいところです。

 

というわけで今回はこの辺で 最後まで読んでいただきありがとうございます

次回もよろしくお願いします 気に入っていただけたら記事の拡散等していただけると喜びます!

ではまた