AnDrew’s小生意気レビュー記

作品の感想レビュー記事をメインに投稿しています。作品への造詣を深め楽しみつつ、それを他の方々とも共有できる場になれば。よろしくお願いします。

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ウルトラマンコスモス

第49話「宇宙の雪」

感想レビュー

 

 

突如現れ瀕死の状態へと入っていった怪獣アルケラの処遇を巡るEYESの姿、そしてそこから浮き彫りとなる人間と怪獣の向き合い方についてを描いた今回のストーリー。強力な破壊力を持ちながら今にも息絶えそうなアルケラを安らかに看取るか直ちに倒すか、人間にとって有益な存在であるスノースターへと変態するアルケラは殲滅対象となるか否か、といった様々な判断を迫る数々の局面において、怪獣という生命を重んじる故にアルケラにどこまでも愚直に寄り添おうとするムサシそんなムサシの想いを尊び、有事のアルケラ殲滅という辛い選択を取らせまいと不器用に気遣うフブキ隊員アルケラの生命の火が尽きる瞬間を見守ることしかできない歯痒さに辛そうな表情を垣間見せるアヤノ怪獣を大切に想う心を抱きつつも、人命を守る責任を持つ故に厳しい選択を取るべき場面で葛藤するヒウラキャップ、などEYESの面々各人の選択や葛藤を描く作劇が非常に目を見張るところでありました。特にこれまでにも怪獣の保護が撃滅かで選択を迫られることの多かったキャップの葛藤により強くフォーカスした点はドラマ的にもグッときたところであり、 総じてメインキャラ各人の立ち位置や考え方を改めて印象付けた良い展開運びだったなと。

 

また上記の描写を含む全体の展開を通じて「自分達の脅威となるかならないかを基準に、怪獣という生命を善悪の二元論で括り生殺与奪を判断してしまう人間のエゴイズム」を浮き彫りにし、怪獣保護という本作のテーマにかなりグッと踏み込んできたのは非常に印象深かったところ。EYESの一員として長く戦ってきたフブキ隊員とて「『悪い』怪獣はいなくなって、人間に害の無い『良い』怪獣ばかりになればそれが良い」と人間の価値基準による怪獣の善悪の区別を自然と口にしてしまうし、アルケラの処遇について様々に葛藤し懸命に一つの生命として純粋に向き合おうとしていたヒウラキャップでさえもアルケラがスノースターへと変態したのを目にして「今はスノースターという人間にとって役に立つ『良い』怪獣なので、傷付けず見逃せば良い」という人間を中心とした旨の言葉で防衛軍を説得する選択を取る他なかった、といった感じで、怪獣保護に取り組むEYESの面々からも完全には拭い去ることのできない(できていない)概念としてこの辺を容赦なく描いてきたのはなかなか強烈でしたなぁ...もっとも前者は「人間と怪獣双方が安全に共存できるようになれれば良いのに」と純粋に思ったが故のフブキ隊員の悪気ない発言で、彼自身も後にムサシの言葉を受けて色々と思うところがあるような素振りを見せていたりとあくまで決して悪意は無かったし、後者も防衛軍を説得するためにキャップが捻り出した言葉という感じだったので、どちらも一人間として責めるようなものではないけれど(後者の発言をした直後の宇宙へ昇りゆくスノースターを見守るキャップの表情が、苦渋の決断をした故のどこかやるせなさそうな悔いを感じさせるようなものだったのが絶妙でとても良かった)

ムサシが言っていた通り、怪獣はあくまで自分達の本能のままに生きているだけ、 それが人間のテリトリーと重なり人間社会に悪影響となってしまうがために「悪」と判断されて一方的に攻撃されてしまう面がある、というのはまさにその通りであり、そこに利益があれば「善」という意識が更に加わって、怪獣という生命を人間の勝手で括ってしまおうとする風潮が生じることは、実際一種のエゴだよなぁ...と感じてしまう。何かの害(利益)になるために生まれた生物なんて一つも無いのよね

 

けれど人間も一つの生命であり種族である以上、自分達の繁栄や存続を求めて他の生命と共存したり時に淘汰したりすること自体は本能として致し方ないこと(技術発展に有用な特徴を持つ生物を丁重に扱いしっかりと研究することは正しいことだし、害獣駆除なんかは人命を守るためにやらねばならない時ばかりだからね)であり、そこに準じ生きることもまた間違いではないとも思うわけで。であれば、大事なのは人間一人一人が他の生き物に一方的に人間の都合を押し付け善悪で括り扱うのではなく、等しく同じ生命として向き合い、慈しみ、理解し、その上で自分達の繁栄と相手の領域との折り合い等を適切に判断しながら共存していくことなんじゃないかなと。

そしてそこへ繋げていくための道筋とするという意味では、「人間のためになる生命」を守ろうとすること自体も決して間違いではないとも思うところ。それ自体は人間のエゴが基かもしれないけど、無闇に生命を奪ったりするよりも、まず他の生命を大切にしようとする意識をどんな形であれ持つことは良いことであるわけだし、それを過程としていずれ他の生命全体を慈しみ守ろうとしていく意識へ繋げていくという意味でも、今はそれも良いんじゃあないかと、ヒウラキャップ達がスノースターに対する想いを述べるラストのシーンで感じました。

 

 

以上、コスモス第49話でした。怪獣/他の生命との人間の向き合い方という部分を、人間のエゴに斬り込むことも込みで掘り下げ、コスモスという作品のテーマにグッと深みを与えた良エピでした。メインキャラの考え方なども改めて強調され、ストーリーの要所を引き締める大西さんの脚本が実に良い味わいを発揮していたなと。50話の大台に入る前に作品全体をきっちり上手くまとめてくれました

 

というわけで今回はこの辺で 最後まで読んでいただきありがとうございます

次回もよろしくお願いします 気に入っていただけたら記事の拡散等していただけると喜びます!

ではまた