AnDrew’s小生意気レビュー記

作品の感想レビュー記事をメインに投稿しています。作品への造詣を深め楽しみつつ、それを他の方々とも共有できる場になれば。よろしくお願いします。

ナニガチガウ

ウルトラマンコスモス

第63話「カオス激襲」

感想レビュー

 

 

前回のナガレに続き、今回はミツヤや吉井ちゃんも再登場し、今までの話に出てきたゲストキャラが次々顔見せしてくれてるの良いよね

長期シリーズ故にコスモスはエピソードや登場キャラが非常に幅広いけど、そういった要素の数々が基本使い捨てに終わらず、随所で時々再利用されるのは見覚えのあるキャラがまた出てきたりするのがシンプルに楽しいといったところも含め本当に嬉しいポイントですね。キャラクターや設定、世界観を大事にしてるのが窺える(メインキャラの掘り下げにも繋がる描かれ方がされることも多くて、ドラマ面での動かし方も良いんですよねぇ)

 

カオスヘッダーの本拠地となるP87ポイントへの攻撃が遂に開始されようという中で巻き起こる更なる波乱を描いた今回のエピソード。防衛チームの基地が終盤の襲撃される展開はシリーズでよくあるけど今作もそこの展開しっかり押さえて緊張感を出してきましたね メインの隊員達だけじゃなく沢山の職員が翻弄され駆け回る描写も入るのが混乱模様に説得力を出し真に迫るものを醸すから好きなんですよねウルトラシリーズの基地襲撃描写

 

今回はヒウラキャップのカオスヘッダーとの戦いに対するEYESの一員としての想いというところも一つの肝となっており、相手を倒すために力を奮い続けるカオスヘッダーとの死闘の中でEYES全体が「怪獣保護」という本来の使命を忘れかけていることや、「やむを得ないこと」という名分の下でそんな戦いに部下達の命を賭け続けさせることに対する苦悩や決意を見せる様が印象的でした。自身が背負える責任や危険は進んで背負い、部下達のために戦いを一刻も早く終わらせようとする様にはEYESのリーダーとしての強い責任感や思慮深さが感じられ、ほんとこの終盤のキャップは魅力がいっそう強調されてて良いなぁと

カオスヘッダーとの戦いに対する想いに関してはここ数話においてムサシの苦悩という形で強調されてきたところではあったけど、大人のキャラ特有の深みが発揮されたキャップの言動を通じてまた別の視点から深掘りされたことで、ストーリー上でより飲み込みやすくなったのも良かったなと感じられたところでした。周囲の風潮に1人立ち向かう青臭さや泥臭さを含んだムサシの言動も作品のテーマ性的に必要なものではあるけど、一方でその意地になってる様にハラハラさせられたりと純粋な視聴感としてキワキワな描き方をしてる面もあったので、そこにおいてキャップの言動はいい具合にバランスを取ったなと感じます その辺のテーマ性の強調と視聴感とをそれぞれ視点や個性の異なるキャラごとの言動でバランス良く振り分けてるところが絶妙ですな

 

また、コスモスがカオスヘッダーの陽動作戦に利用されたエリガルを毒ガスの出せない体質に変化させた上で救ったことに対し「人間に都合の良いように怪獣を変化させるお前の行動と、自分達のために怪獣を変化させる自分達の行動の、一体どこが違うのか」とカオスヘッダーが憎しみを込めて問いを投げかけてくる、という衝撃的な下りのあった戦闘パートは今回の話の中でも一際強烈な部分だったと言えるでしょう。

怪獣の無害化させるため人間達に不都合となる部分を取り除くなどといったコスモスの行動は今までにも少なからずあった(専ら人為的な介入で凶暴化したりした怪獣を救ったりといったものだけど。キュリア星人の回に出てきた花を無毒化させたのは実際少々グレーとも言えるが...)けど、その行為は「怪獣という存在の性質や在り方に自分達の都合で手を加える」という点でカオスヘッダーと同じではないのか?とここに来て問うてくるというのはなかなか攻めてるよなぁ...と。ある種作品の根幹の否定・アンチテーゼとも言えるわけだし しかもそれを投げかけてきたのがカオスヘッダー本人であり、流れとしてコスモスを挑発し動揺させようとしたとかでもなく「何が違うんだよ、自分達は違うから良いなんて都合が良すぎないか」とでも言わんばかりに憤り/憎悪を込めて行ってきたってのがまた考えさせられるところだよなと。現状作品上では「悪/敵」に位置付けられてるはずのカオスヘッダーの方が先にその論理に思い至るという...

いわばここのシーンは作品のテーマ性の新たなる側面を示したと同時に、それを促した張本人であるカオスヘッダーが、物事を見定める多角的な視点、および理が通らないと感じたことに対して「怒り/憎しみ」といった感情を抱く感受性を得たという変化を示したことにもなっており、 カオスヘッダーが単なる邪悪な敵というだけではない側面を持ち始めていることを表しているとも言えるようになっているのがミソ(本編中ではコスモスとカオスヘッダーの対話等から上記の「怪獣を自分達の都合で変化させること」という問題に明確なアンサーが出ることこそ無いので見方によっては消化不良とも言える部分はあるけど、描写上の意味合いとしてはカオスヘッダーのこの変化を示すことに大きな意味があった気がします)。実際ここからラスト数話、ここのシーンの意味も含めカオスヘッダーという存在に対する捉え方がより大きく変わっていくこととなりますので、非常に重要なポイントですね
度重なる進化を経てカオスヘッダーが得た変化が示していくものとは何か...

 

 

以上、コスモス第63話でした。クライマックスの怒涛の展開の中、作品のテーマにより深く抉りこんでいく描写も入れてくるなど、作品としての意欲的な「攻め」を感じる回となっておりました。キャラの取り回しやテーマ性の扱い方の巧さはやはりなかなかのものだなと

残り2話。止まることなく進んでいく最後の戦いの行方はー

 

というわけで今回はこの辺で 最後まで読んでいただきありがとうございます

次回もよろしくお願いします 気に入っていただけたら記事の拡散等していただけると喜びます!

ではまた