AnDrew’s小生意気レビュー記

作品の感想レビュー記事をメインに投稿しています。作品への造詣を深め楽しみつつ、それを他の方々とも共有できる場になれば。よろしくお願いします。

滅ぼす者、進む者

ウルトラマンティガ

第20話「GUTSよ宙(そら)へ・後編」

感想レビュー

 

 

今回の記事は後編です。まず前編の第19話の感想となるこちら↓から

夢へ進む光、迫る鉄の魔手 - AnDrew’s小生意気レビュー記

 

 

ワイ「トリガーのマスコット枠はメトロンじゃなくてレイビーク星人の方が絶対良かったぞ」

「この期に及んで懲りねぇなおめぇ」

ワイ「無理ならゴブニュ・ヴァハだって行けたし  ヤズミ隊員にご飯をもらって色々教えてくれた可愛いマスコットキャラだぞ」

「あんないかつすぎるマスコットがいるか」

ワイ「多少デフォルメかけてC-3POみたいな感じにすれば行けた」

「引き合いに出すにはキャラの雰囲気とか毛色違いすぎるだろC-3PO

ワイ「質感が無骨なくらいしか違いはないから行ける イケボのロボマスコットな後年のHANE2とか行けたんだし行ける」

「HANE2に適用されてる許容範囲をゴブニュに当てはめるの図太すぎるだろ」

ドン・フィナーレアンドリュー on Twitter: "ヤズミ隊員にご飯もらったので色々教えてくれたゴブニュ・ヴァハもマスコットに一つどうでしょう(いかつすぎる https://t.co/hIBlFj8ufH" / Twitter

ドン・フィナーレアンドリュー on Twitter: "多少デフォルメかけてC-3POみたいなキャラ付けすればいけるいける(力技)" / Twitter

ドン・フィナーレアンドリュー on Twitter: "デバンをトリガーのマスコットで出すことについて「元々喋るキャラでもないし防衛チームの一員って感じでもない」的なこと言ってるのをちらほら見たが、ならばやはり原典で喋ってるしサポートロボ的なポジも似合いそうなゴブニュ(ヴァハ)をだな...(異端)(いかつすぎる)" / Twitter

ドン・フィナーレアンドリュー on Twitter: "スーツ的な動きやすさも人型なのでしっかり動けて問題なしだぞ(" / Twitter

行けたって!!(鉄の意志) 当ブログはティガ25周年時のレイビーク星人不遇の歴史の火種を途絶えさせない活動をしています(無認可

 

機械島とゴブニュの襲来により窮地に陥るGUTSとティガの奮戦を描く前後編エピソードの後編。自爆寸前のゴブニュ(ギガ)からダイブハンガーを守ってのティガの捨て身の特攻による相討ちに終わるという前回ラストからの地続きとなる衝撃的な絵面からのスタートで一気にグッと引き込んでくるのが強烈でした ティガのカラータイマーの点滅とゴブニュの爆発のカウントダウンの点滅が同期するように早まっていって、最後に点滅が消えてティガが消滅・ゴブニュは空中で爆発、の演出は最後までどう転ぶか分からない緊張感とティガの実質的な敗北という絶望感とで心臓を掴まれるような感覚を与えられる好演出だったわね やはりウルトラシリーズの前後編はウルトラマンが(どういう形にしろ)一度倒れてこそよ

 

そんなティガの敗北という展開を経て、ダイゴが第2話以来久方ぶりに「思いがけず手にしたティガという光の超人の大いなる力で人類を守り続けなければならないことへの重圧・不安」を垣間見せたところは今回のドラマ部分で特に強く目を惹きました。地球や人々のために勝たなければならないという責任を抱えて戦ってきた故か、今回の敗北にナーバスになって救世主の資質を問うて嘲笑ってくるキリエルまで幻視して「僕1人でこの地球を守れって言うのか!」「ウルトラマンティガである資格が僕にあるのか?」と行き場のない怒りや自問・自虐に陥る姿は、彼の1人の等身大の人間としての弱さを表していて生々しいところでしたね。けれど同時にこの反応はある意味、ダイゴが第2話であれだけ困惑していながらも「ティガとして戦い地球を守ること」から今まで逃げなかったからこそでもあると言えるし、そういう意味では人間的な責任感の強さの表現でもあるよなと(第2話以降ダイゴがティガの力の責任云々について語る場面がなかったことも見ようによってはその責任や恐れを自分の中で飲み込み受け止めるようにしたからとも見えるし、ここが意図してかせずしてかハマったのも良き)  やはりダイゴ自身は「超人ウルトラマンその人」でも「近くに並び立つウルトラマンと共に支え合い戦う者」でもなく、あくまでウルトラマンの力をその身に宿したにすぎない、時に迷い挫けそうになる心を持った1人の人間」であるのだというところを改めて印象付けた部分でありましたね。

 

しかし展開の後、宇宙で戦うGUTSの姿を見たことやユザレが投げかけた「人間が力を合わせていかなければ先には進めない」を受けたダイゴが、「自分は独りで戦っているのではない」「ティガに頼るだけではなく、人間が力を合わせ戦っていかなければならない」ことを知り再び立ち上がる流れも描かれ、ここはダイゴの意識の転機という意味でも、ティガ本筋に大きく掛かる描写としても熱いところでありましたね。ティガという大きな光の導き一つが人類を押し進めるのではなく、人類1人1人が共に一つとなって進む大きな光となることに意味がある、とこの辺まさしくド終盤の一番大きなテーマですしね 超古代文明の末路について仄めかすユザレの言葉も合わせるとより響くものがある

それにこの辺の展開、フォーマット自体はウルトラシリーズにおけるウルトラマン(に類する者)が共に戦う人間達の存在の大きさに気付く(その存在の尊さを大事に思っている)」という割と定番のそれではあるのだけれど、一度ウルトラマンという立場に立ちその力の大きさや重圧を知った人間であるダイゴがそれ=力を合わせ共に戦う人間達/仲間達の存在を知るという展開とすることで、ダイゴが「自分もそこに並び立ち戦っている仲間=人間である」ことを思い返すことができるみたいな文脈になってるのも良いところだよなとも。ダイゴがあくまで1人の人間でありそこが一貫されるからこそ、ヤズミ隊員に回収された時の

「ティガだけじゃダメなんだ。『僕達』が、力を合わせないと」

という台詞が、ウルトラマンという立場に留まらない、1人の人間にしてGUTSの一員としての言葉としてグッとくるというかなんというか。ダイゴだからこそ、自分も含めて「僕達」として言えるのよね...ウルトラマンとしての力を手にした1人の人間、というキャラ(およびそこから醸されるドラマ性)の走りですね

 

と、共に戦うGUTSの仲間達の存在が一つグッと強調された今回でしたが、その中でもダイゴの救出やゴブニュ・機械島の正体の解明など今まで以上の八面六臂の大活躍を見せたヤズミ隊員は特にカッコよかったなと。ガゾートⅡの回で前線へ赴く意欲を見せるもお預けになり、アートデッセイ号に乗っての出撃にも加われなかった彼であったけど、今回はそれを払拭せんとばかりに自分の立場や能力でできることを最大限活かした立ち回りを多く見せていて見事でしたね ヤズミ隊員、作劇的にもあまりガンガン前には出ないんだけど出るとなったらかなり良い味出すよね...メイン回/準メイン回は基本的に名エピ揃いだし

 

かくしてヤズミ隊員の活躍により、禁じられた力=マキシマ・オーバードライブを見つけ出し起動させた文明に攻撃を仕掛け殲滅させるために作り出された保障システム、それこそがゴブニュ・機械島の正体にして目的であったことは明らかに。人類が自ら生み出したと思われていたマキシマ・オーバードライブをいずれ生み出されるものとして予見・危惧し、それを生み出した者達を滅ぼすオーバーテクノロジーを宇宙に送り出していた未知の文明がかつて存在しており、そしてその実態はゴブニュ達自身も知らないという口頭だけでも分かる人智を超えた力と真なる部分が明らかとならない不気味さとで演出される底知れなさが恐ろしいよねゴブニュ達の創造主  最後まで創造主達そのものは姿を現さないので「既に滅んでゴブニュ達だけが一人歩きしてる」のか、それとも「今もどこかに存在していて見ているのか」も分からない、という謎めいた感じがSFホラーテイスト濃いめで良き。サワイ総監は彼らを「高度な文明への身勝手な先制攻撃(意訳)」と称していたけど、実のところは宇宙の裁定者気取りの傲慢なる異星人だったのか、それともいずれ生まれ得る高度な文明の進出への恐れに苛まれた他種族だったのか、それとももっと高位の超常的な存在だったのか、最早誰にも分からない...

 

そんなゴブニュ・機械島とGUTS・ティガの大詰めの決戦も今回のエピソード通しての見所。機械島から送り込まれるゴブニュ軍団とアートデッセイ号から出撃したガッツウイングの縦横無尽の落とし合いを描くスペースオペラさながらの前半、機械島に捕えられたアートデッセイ号と仲間達を救うため乗り込んだダイゴの活躍やその前に現れた新たな刺客・ゴブニュ(オグマ)とティガの決戦、逆転を導いたGUTSの援護などを描く後半と、前編からの流れを断ち切らない濃密な画の連続が強く引き込んできて面白いところでしたね。左右非対称の遺跡のレリーフを模ったようなボディのディテールがギガとはまた違った古代兵器感を感じさせるデザイン、見た目に違わぬ重量感を伴った機械的で怯まない攻撃でティガを淡々と追い詰めていく戦闘が目を惹くオグマが凄く良い存在感だよなと  ギガとだいぶ違うんだけど目や左腕右脚の感じにしっかりゴブニュの系譜を感じさせるものを残してる絶妙さも良き 思えばギガもオグマもティガは単独でのストレート勝ちはなかったし、ほんとに強敵よな...だからこそGUTSの奮戦が今回引き立ったし上述のテーマもよりグッと引き締まったのだが

 

そしてラストは戦いを終えて合流し帰還しようとするGUTSの仲間達の姿と、禁じられた力として予見され災いをもたらしたマキシマに対しても恐れることなく、それを悪しき力にしないようにしながら前に進み続けていく決意をヤオ博士達が新たにする姿で爽やかに締めとなりました。ゴブニュの創造主のようにオーバーテクノロジーを恐れ封ずるという「停滞」ではなく、そこに秘められた可能性を信じより発展させていく「前進」を選びつつも、自分達人類もそれを間違った形にしてしまわないように正しく在るべく努めることが必要だと語ったヤオ博士、科学者として凄く高潔で良いよね。マキシマをギリギリまで戦いや破壊のための力にせまいとしたり、ホリイ隊員の科学者としての意志を信じて力を託したりといった人心を失しない姿勢が素敵  マキシマを目覚めさせた人類を滅ぼそうとした創造主と、創造主を打ち倒すのではなくマキシマは間違った力ではないと教えてあげられるようになっていくことを選んだヤオ博士、という対比もあるよなと今にして思ったり

しかしこのゴブニュのエピソードで描かれた「人類の発展を恐れ、阻み滅ぼそうとする存在」や、それに対する「発展し変わることやその先にある脅威を恐れず、正しく在ることを忘れないよう止まらず進み続ける人類の意志」といった要素の数々って、地続きの世界観となる後続作のダイナで軸として描かれるテーマの一つ─ネオフロンティアスピリッツそのものだよなぁと。たしか前のエピソードでも同じようなことを感じたりしてたことあったけど、やっぱりここはティガダイナ通じての大きな柱なんだなと実感させられますね。ティガ時点では軸の一つという感じでありつつ、そこをより大きく発展させガッツリと作品の中心に据えて描いていくようにしたのがダイナって感じなんだろうけど、後から見返してみてちゃんと精神性として通ずるものがしっかり見出せるようになってるの、良い接続の仕方・描き方だなぁと感心しますね。やはりティガダイナの連続2作は良い...

 

 

以上、前回から引き続いてのティガ第19、20話でした。人類の発展に忍び寄る脅威、それに立ち向かう人類という壮大なSFテイストを軸に据えて痛快な絵面で展開、加えてティガ本筋の大きなテーマ、更には後続のダイナにも通ずる要素をその中心に据えた重厚なドラマで魅せてきたところが実に面白い濃密な前後編でありました。ここまでのエピソード群の数々でも感じてたところを改めて再確認した感じだけど、基本的に横軸を広く展開させつつもその節々に縦の本筋展開を印象深く入れ込んで全体を引き締めてるこの構成、やっぱ良いなと思いますね...凄く良かった

 

というわけで今回はこの辺で。最後まで読んでいただきありがとうございます。 読んでて共感できたり楽しめたりしたところがあれば幸いです

気に入っていただけたら次回も読んでいただけるとありがたいです。感想をくださったり記事の拡散等をしていただけたりすると更に喜ぶぞ!!

ではまた