AnDrew’s小生意気レビュー記

作品の感想レビュー記事をメインに投稿しています。作品への造詣を深め楽しみつつ、それを他の方々とも共有できる場になれば。よろしくお願いします。

闇の宣託と光の意思

ウルトラマンティガ

第25話「悪魔の審判」

感想レビュー

 

 

職務に従事するあまりに家庭が疎かになり息子のトモキくんと離れ離れになってしまったイルマ隊長を慮るレナに対し、イルマ隊長が

「辛いのはあの子の方。貴女なら分かるわよね?」

と返す下り、レナの家庭事情に切り込んだ第7話の内容を「親子の話」という繋がりでピックアップしさり気なく絡めることで、イルマ親子それぞれの内面がいかなるものかというところをヤナセ親子との類比により短い描写の中でも効果的に掘り下げているのが実に巧みで良き。前のエピソードの要素がこういう形で間を空けて別のエピソードにおけるキャラ描写やドラマを深掘りに活かされると、横軸の広がりに比例して縦軸もどんどん補強されて全体のストーリーに厚みが出るので良いですよね 平成ウルトラシリーズ、特にTDGの3部作はその辺のシナリオのバランス感がしっかりしてて好きだ

 

人々を恐怖に陥れた悪魔の化身・キリエル人の逆襲を描く今回のエピソード。本作の要所で度々登板されている小中千昭さんと村石宏實監督をメインに据え、後のティガの物語にも大きく関わるような構図やメッセージを印象深く入れ込んだエポックメイキング的な展開が目を惹いた内容となっていましたね。ティガ感想は途中からすっかり不定期ぼちぼち更新になってしまいましたが、なんだかんだでもう折り返しくらいのところにまで来ましたわね こっからも傑作エピ揃いなので楽しみよ

 

そんな今回は「天使」なる存在が都市伝説よろしく人々の間にじわじわと広まり信奉者が増えていく不穏な様を導入とし、天使の正体たるキリエル人が人々の心を支配しその勢力を増していくカルトじみた展開からスタート。超常の存在じみた振る舞いによって半ば脅迫するような形で人類にキリエルの力を見せつけ支配しようとしていたのが20話以上も前ながら記憶に新しいキリエル人ですが、今回は人間達の不安定な心に救いと安心を与える「天使」を騙り演説を行うことで、人々が自分達を崇めるように導いていくというまた違ったアプローチを仕掛けてきてたのが印象深かったですね。この宗教的なホラーテイストを感じさせる不気味さはやはりキリエル人という存在のキャラ性において凄く大きい

しかし今回のキリエル、相も変わらず自分達こそが絶対だと人間に示し崇めさせようとしてたところは前回と同様なのだけど、前回のように最初から「自分達を信じ崇めろ」と言ってくるといったことをしない手段を取ってなかったのは凄く狡猾だったよなぁと。イルマ隊長のお義母様の「身近の大切な人を喪った悲しみ」「怪獣や宇宙人の脅威が蔓延る世界に対する不安」といった誰もが抱きうる心の揺らぎ・隙間みたいなところに的確に目を付けつつも、あくまでキリエル達自身は最初「天使」という神的な安心感を感じさせるガワを着込んでそれとなく姿を見せただけで人間達を相手に何かを語ったり押さえつけたりと直接的なアプローチを取っていなかったというのがミソで、そこから自分達の心に安心を与えてくれる『天使』を信じ崇める選択は人間達自身が自発的に取った」というところに導いてるのが巧みなんですよねぇ。特別な洗脳能力などを用いずともただ「天使」の姿をチラつかせさえすれば待ってるだけで「天使」を崇める人間達はじわじわと集まるし、自分達はそうして集まった人間達の先頭に立ってそれらしい語りで煽動していれば、人類がキリエルを崇める世界がいつの間にか形作られており、あとは門を開いてキリエルの民を引き込めば完璧という、めちゃくちゃ人心掌握に長けたカリスマのやり口なんだよな...人々を統べた後でキリエロイドとしての禍々しい姿を晒してなお拒絶する声はまるで聞こえてこなかったし、あまつさえ全てが終わったラストでもあのカット(後述)が入ったくらいだったし、「天使─キリエルを崇拝した人々の行動はあくまで人間達も自発的なものであった」というのは相当大きな意味を持ってたなと実感しますね キリエルのゴリゴリの自己顕示欲の強さと拗らせ具合を思えば、何かのきっかけで解けるかもしれない洗脳能力やいつかバレるかもしれない嘘八百といった吹けば飛ぶような土台で形作った信仰は脆過ぎるというか、人間達自身が自らの意思で歩み寄ることで積み上げられた根深い信仰こそを重要視しそうだよなぁと思ったり(だからこそ先にも述べたような“元々ある”人の心の隙間に取り入り刺激することを重要視したし、人々を煽動する時も「ティガがいるせいで怪獣の脅威による世界の不安は止まらない」という『事実のように思えること』を言葉巧みに語ったんだろうな、なんて)   まぁ身も蓋もないこと言えば徹頭徹尾「俺が一番じゃあァァァァァァーッ!!!」って言いたいだけではあるのだけど、それを徹底的に実現するカリスマ性と口の巧さが尋常ではないところがキリエル人の強力さなんだなぁ、と改めて実感した気がしますね まさに悪魔よ...

 

中盤ではそんなキリエル人に立ち向かうダイゴ/ティガとキリエル人の新たなる戦闘形態・キリエロイドⅡの戦闘が展開。第3話のキリエロイド戦と同様、夜のビル街を舞台に激しい格闘戦が繰り広げられた今回の戦闘でしたが、長回しのワンカット演出で息つく暇もない緊迫感を演出したり、建物を手前においた固定のカメラアングルで臨場感を醸し出したりと、第3話の時以上に色んな演出が入れ込まれていて、強敵キリエロイドⅡがティガを圧倒するスリリングさが強く引き立っていて良かったですね。ビルの際にティガを追い詰めたキリエロイドⅡを見上げるようなアングル→恐怖し震えるティガ→振り下ろされるキリエロイドⅡの腕・かわすティガ・切り裂かれ砕け散る背後のビル、の一連のカット、観てるこっちもハラハラさせられたわい

にしてもキリエロイドⅡ、今見てもデザイン・活躍共にめちゃくちゃカッコ良くて最高ですねほんま  キリエルへの信仰を欠いた人類への(一方的で自分勝手な)哀れみを表したかのような泣き顔モチーフだった初代から打って変わって、人類からの信仰を一身に浴びた恍惚さやティガに対する嘲りを表したかのような邪悪に釣り上がった笑いの相貌がモチーフになった、禍々しくもより洗練された造形の顔は勿論のこと、何よりティガのタイプチェンジに対応した3形態への変化を備えているというところがめちゃくちゃ浪漫あって良いよなと。マルチタイプ・パワータイプを強力なタフネスと技巧で真っ向から圧倒し、場を変えて仕切り直してきたスカイタイプも同じ条件でストレートに下すというティガを完膚なきまでに叩きのめす戦いっぷりの絶望感も非常に強烈であった  小細工抜きの格闘術で圧倒するマルチタイプ、ティガを押さえ込んだり刻み付けるように切り付けたりと腕のカッターで力強く攻めてくるパワータイプ、悪魔の如き羽を大きく広げ空を駆るスカイタイプと、見せつけるような戦い方も凄くキリエルらしくて好き  第25話は子供の頃ウルトラマンワールドかなんかのダイジェストで観たのが先だったんだけど、ティガのばちぼこっぷりが衝撃的で当時は本編の方観れなかったんだよな...

 

そうしてキリエロイドⅡにティガは完全敗北、キリエルの地獄の門も今まさに開かれんとするという絶望的状況が繰り広げられるも、そんな中イルマ隊長の決死の呼び掛けにティガを信じる多くの人々が動き、倒れたティガに光を与えるべく結集、彼らの与える光によって力を取り戻したティガが再び立ち上がるという展開が巻き起こり、今回のエピソードのクライマックスを大きく盛り上げるハイライトとなりました。人間の身も心も弄び嘲笑うキリエルに対するカウンターとして言い放った「人間は弱くない」や、キリエルの圧倒的な力の前に折れそうなイルマ隊長を鼓舞するべく言ったウルトラマンも人間がその力を信じなければ光となって戦えない」など、本エピソードは1人の人間としての立場・視点からウルトラマンとなって戦い続け、人間というものを強く信じているダイゴだからこその想いの籠った言葉が様々に出てきていましたが、それが確かなものであると証明するかのように、絶望的な暗闇の中でも決して折れず、今まで戦い続けてきたウルトラマンを信じ支えようとする人間達が他でもないダイゴ─ウルトラマンのピンチにやって来て力を与える展開、これは燃えずにはいられないでしょう 不安や悲しみからキリエルという安心に縋る人々に対する対比だよなぁ  ここでティガに与えられる光とは単なる属性・エレメント的な概念によるエネルギーというだけではなく、どんな苦境でも諦めず、大切なものを守るために自らの意思で立ち上がり、前へ進もうとする人間の気高い精神の象徴でもあるよなと思うわけで、それがこの人間の強さを人一倍に信じていたダイゴ─ティガの再起の力になる様はまさに「人間」「光」に強く焦点を当てる本作らしい眩しさと熱さがあって非常に素晴らしいですね  再起し腰を上げたティガが光を与えてくれた人間達に視線を送るように座り込んでいる姿が、ミケランジェロアダムの創造を思わせる構図になっている芸術性も含めて本当に美しい アダムの創造」は神が最初の人類・アダムに生命を吹き込む場面を表しているそうだけど、そのアダムの側と同じ構図をティガに取らせているところが実に象徴的であり、本作における「ウルトラマン」の定義の答えだよなぁと。神ではなく、与えられ支えられながらも自らの意思で立ち上がり進んでいける1人の人間なのだと...

 

かくして立ち上がったティガによるキリエロイドⅡとのリベンジマッチ、これがまた山場のテンション感とも相まって凄く良いんですよねぇ。人々が与えてくれた光に照らされた夜のビル街の中、先程は手も足も出なかったキリエロイドⅡを真っ向から叩き伏せていくマルチタイプの勇姿はただただ圧巻の一言ですね...はっ倒したキリエロイドⅡの腕をストンプで縫い付けてからの追いストンプ、連続のパンチに全体重を掛けた踵落とし、グロッキーになったキリエロイドⅡを立ち上がらせて後ろ回し蹴りでノックアウト、最後に抵抗する力も無くなったキリエロイドⅡを地獄の門に豪快に投げつけて蓋にし、ゼペリオン光線で滅殺、のコンボが初戦の苦戦っぷりがあっただけに余計に気持ち良い  立ち上がり挑もうとする「光」の意思、これを大勢の人々から受け取ったからこその文字通り百人力の底力、圧倒されましたね。人間達を侍らせそれらしい救いを説くようなことしかしないキリエルの空っぽな意思では勝てるべくも無かったのだ

 

そしてラストは、ティガを救い再起させるべく奮闘した息子のトモキくんを褒め抱き締めるイルマ隊長、彼女達を見て穏やかに涙ぐむお義母さんの家族の情景と共に締め括られました。立場ある大人として職務に向き合うあまり息子と疎遠になり義母からも突き放されてしまっていたイルマ隊長、そうして分裂していく家族への悲しみからキリエルに一度は入れ込み救いを求めてしまったお義母さん、そんな中でもぎこちないながらも母親を慕う姿を見せ、真実を見据え戦ったトモキくんと、今回のエピソードの一つの軸として展開されたイルマ隊長の家族周りの話だったけど、ティガ・光を信じ前を向き戦おうとする意思を通じて母と子が今一度心を通じ合わせ、その姿に離れ離れだと思っていた家族の繋がりを見出したお義母さんも立ち直り考えを改めてくれた様子を見せた、と良い具合に人間ドラマの部分にクッとまとまるものを与えてくれてグッときましたね。第3話の時点でもトモキくんの存在がそれとなく示されていたのも含め、イルマ隊長を中心としたキリエル2編もこれで良い味わいを出して着地したなという感じで良かった しかしトモキくん、ゲストキャラにしてはあまりに盛られすぎなくらいに有能で今見てもヤバいな。w イルマ隊長の子と言えどもさ!!

 

しかしED入り直後、キリエルの天使騒動の中で打ち捨てられた天使の羽の飾りを誰かが大事そうに拾うというなんとも意味深なカットがさり気なく挿入。不安や悲しみを抱く者、天使─キリエルの救いを求める者は決していなくなったわけではないのだ、とほんのり後味の悪さのようなものを残していったところはアクセントとして良い絶妙さでしたね。この辺は天使崇拝の意思をあくまでも人間の自発に委ねたキリエルの策略の狡猾さと有力さを実感しちゃいますね キリエルが大仰な洗脳とか使った上だったら決して出てこなかった絵面だもんなぁ...こういうところの巧みさや人々の心に残るカリスマ性の根深さはやっぱり間違いなく強力だわねキリエル  人々が生きて不安や悲しみを抱く限り、それに対する救いや安心を求める声もまた決して止まず、キリエル...悪魔もそこにいつかまた付け入りに現れるのだ

 

 

以上、ティガ第25話でした。キリエル人の再登場を軸にしたより大きなスケールのストーリーの下、「光」「人間」というテーマに強く切り込んだ内容がグッと惹きつけてきた濃く素晴らしいエピソードでありました。終盤の展開なんかを踏まえると構図や要素にピンとくるものも凄く多かったし、やはり少し後の第28話等とも併せてティガの物語におけるテーマやメッセージ性を強く印象付ける重要な立ち位置の話であったなぁと感じますね あと何気に「デート」というワードをはっきり出してきたりとダイゴとレナを取り巻く関係性に関してもほんのり進展みたいなものを見せていて、ここもクライマックスに向けての印象付けという意味合いがあったのかな、なんて(健闘を祈り合うように2人が語らった後、レナの乗ったシャーロックが走っていく後ろでダイゴが駆けていき、その先からティガが光と共に現れる、の構図のなんか象徴的な感じとか色々印象深い)  ともあれ折り返し地点のエピソードに相応しい濃密さのある一本でした 良き

 

というわけで今回はこの辺で。最後まで読んでいただきありがとうございます。 読んでて共感できたり楽しめたりしたところがあれば幸いです

気に入っていただけたら次回も読んでいただけるとありがたいです。感想をくださったり記事の拡散等をしていただけたりすると更に喜ぶぞ!!

ではまた